いちごの歴史

web担当
福島

人に歴史ありとは言いますが、いちごにも長ーい歴史があるのでした!!
ぜひ最後までお付き合いくださいね。

いちごの歴史について調べました

いちごはバラ目バラ科の多年草で、同じ仲間にはりんご、なし、さくらんぼなどがあり、一見すると種子に見える一粒一粒のそうかが付いた花托部分が食用として、果物として普段食べられている部分です。
草本性の植物なので野菜として扱われることもあるのだとか。

普段みかけたり食べたりするのは赤い色のいちごが多いと思いますが、この赤色はアントシアニンという色素からで、最近は白色の品種も開発されていますね。
都道府県で独自の新品種なんかもあったりして、たくさんの品種改良が行われていて、いちごの種類は200種類とも言われているそうです。

なるほどですね。

歴史に話を戻すと、約200年前の18世紀オランダで、南アメリカ原産のチリ種と北アメリカ原産のバージニア種が掛け合わされて、現在の形に近い新しいいちごが誕生したと言われているようです。

実際にいちごが日本に入ってきたのは江戸時代で、オランダ船が長崎に観賞用としてもたらされたことから、オランダいちごと呼ばれていました。

余談ですが、1890年代このいちごのイラスト、特にエゾヘビイチゴを見ると、ウエッジウッドの食器に使われているデザインのいちごに雰囲気が似ていませんか?

日本国内においては、平安時代の延喜式(古代法典)にいちごの記載があるそうですが、当時は野生の野イチゴが食用として利用されていたようで、現在普及している品種は、このオランダいちご系の品種だということです。

そして、栽培用のいちごの品種の導入は明治のはじめにアメリカからで、その時は定着しなかったようです。
戦後になり、日本の風土や環境に合った中で育成された品種が、「福羽(ふくば)」で、味も大きさもよく、その後は約70年間も親しまれたそうです。
日本におけるいちごのパイオニア的存在で、細長くて甘酸っぱさを感じるタイプだそうです。
現在、福羽を栽培しているところはほとんどなくて珍しいというか、そういった意味では貴重な品種ということになりますね。

日本のいちご史の中でも、「女峰」と「豊の香」は1880年代半ばからあり、味の良さと粒の大きさなど特徴が優れている点から、この二種類で国内生産の約9割を占めるまでとなり、東の「女峰」西の「豊の香」などと呼ばれて、長くこの二強時代があったようです。

その後、他の果物や野菜と同様で品種改良が盛んに行われ、「とちおとめ」「さちのか」「さがほのか」などと品種が変わり、そして更に、「あきひめ」「紅ほっぺ」などと人気の品種が続々出てきました。

いちごの栄養価についてですが、ビタミンCがとにかく豊富です。
5から6粒食べれば、大人が一日に必要とされている摂取量をとることができるほどですから、たっぷりですね。
その他の栄養素としては、ビタミンAやB1・B2、タンパク質などです。

いちごは、12月頃から出回る冬春のいちごと、7月頃から出回る夏秋のいちごの大きく二つに分かれて栽培しておりますが、本来の露地栽培としては、初夏に食べられていたようで、酸っぱい味が強かったかな、と想像します。
今と昔では旬が違うのは、品種改良や育苗技術の発達、施設栽培の普及により実現したもので、栽培される期間も長くなったおかげで長期間にわたり、美味しいいちごが食べられるようになりました。

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